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喜屋武マリーさんのブログ、12/3の予定 [喜屋武マリー(Marie)]

以前書いた「喜屋武マリーの青春」レビューRev1.0の記事にichibangaiさんよりコメントを頂き喜屋武マリーさんがブログを立ち上げられたとのことですからご紹介しておきます。

 ⇒ROCK QUEEN LEGEND
   喜屋武マリーさんご自身によるブログです。
 ⇒沖縄コザ 一番のぬるい夜・・・
   ひょんなことから喜屋武マリーさんとの交流が始まったichibangaiさんのブログ
   この記事あたりに喜屋武マリーさんが登場されています。
 ⇒音楽で綴る日々の想い~ねえ うん。 と仕事
   喜屋武マリーさんのブログの同じ記事をTBされた方です。なんか親近感を持ってしまって・・・。

※本日(12/3)の予定
赤磐市(旧熊山町)で正月用の「酒一筋 赤磐雄町あらばしり大吟醸」を2本購入してから丹波篠山へ。
篠山では小田垣商店でおせち料理用の黒豆を購入予定。ここの黒豆(大玉丹波黒大豆)は粒の大きさ、密度の高さ、調理した際のもっちりとした食感ともに最高の品で買って帰らないと毎年おせちを作る季節になると「あの篠山の黒豆は旨かったな」とイヤミをいわれまする。(涙)
篠山を少し散策してから兵庫県東条町へ。
チームちょんみ音響の鳥光親分とタバコを吸ってボソボソ雑談して会場撤収の手伝い。
その後ちょんみ姫、yanopee師匠、鳥光親分を新大阪駅までお送りする。
この任務は「はんすんさん」から名代として「しかと申し付け」られた任務(?)であるため気が抜けませぬ。
六甲の夜景など見ながら岡山へ。
大阪からは気が向けば寄り道(ほっつき歩く)するので帰りは午前前後かな。
倉敷のレモングラスに寄りたいんだけどな・・・。今日はちょっと無理かな。


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「喜屋武マリーの青春」レビューRev1.0 [喜屋武マリー(Marie)]

喜屋武マリーの半生を綴ったこの本の初稿は1986年8月の琉球新報に連載という形で発表され、まず南想社より単行本として出版。連載時の初稿より記述内容をめぐる紆余曲折を経てちくま書房版(文庫)をもって決定稿として88年世に出た。
この本はミュージックシーンから見た沖縄の戦後史でもあり後にAサインデイズというタイトル映画化(89年、崔洋一監督、中川安奈石橋凌広田玲央名出演)された。
初稿連載時より約20年、時代はうつろう。
沖縄発の音楽はいまや一過性のブームを越えて日本のミュージックシーンでも欠くべからざる大きな存在になっている。
現在の沖縄発の音楽にナイチャー(内地人)が寄せる期待は「癒し」であり島ことばであり琉球音階であり島唄である。そこに喜屋武マリーの歌の原動力であった「アメリカーと沖縄」という悲愴なテーマは少しも感じられない。
沖縄自体が好むと好まざるとに関わらず米軍依存経済から内地からの観光産業(2004年で来島観光者数500万人)にシフトし同時に外人よりもウチナンチュー(沖縄人)、ナイチャー(内地人)の志向に合致した音楽にシフトしてきた結果ともいえる。
マリーの音楽表現も変わったし彼女を取り巻く環境も変わった。
寂しくも感じるがそれが歌の本質、人生の真実の断片なのかと思うよりほかはない。
喜屋武マリーと幸雄がその86年までの半生を抱えてきたテーマと引用する。
()内は筆者補足、・・・・・は中略

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子供の時から「全て外人(在沖軍人)がらみで生きてきた」彼(幸雄)は、外国語をあやつり、外人相手に生きてきた。彼の生活圏は「外国」であった。しかし彼は自分の意識の中に「外国」を取り込もうとしたことはなかった。むしろ彼は、ことさら「外国」を拒絶し続けようとしてきた。 彼はしばしば「大嫌いなアメリカ人」という。そういわれないでいられないのは、外人相手のときの自分とそうでないときの自分を区分けして生きてきたからである。あえて区分けするところに、彼の人生の根拠と正義があった。幸雄の中の沖縄が、「大嫌いなアメリカ人」といわせる。 マリーもまた、自分を区分けしてやってきた。ハーフであるという事実が、区分けを強制する。彼女は「アメリカ人になりたい」と思い続けて、日本の学校へ通った。こう思い続けるところに、彼女の区分けのあらわれがある。 ・・・・・ 「アメリカ人になりたい」というマリーの言葉は、ハーフとして生まれた彼女のなかの沖縄が言わせている。これは彼女が、自分に課した悲しい自己反発と自己告発の表現である。 幸雄もマリーも、彼らの内部にあるアメリカと沖縄を、ふたりそれぞれのやり方で区分けしながら生きてきた。区分けの辛さを、二人は共有している。 ・・・・・ ちくま文庫版P219より

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ボクが沖縄をシャイン旅行で訪ねたのが99年。1985年のプラザ合意(なぜか先ほどニュースでこの用語を久々に耳にした。)以降の円高ドル安ピークの頃だった。
著者のいう「アメリカーとウチナンチュー」の区分けはこの頃には必要なくなった。高い物価で通常勤務の(戦時手当てのない)米兵が豪勢に飲み歩くなど到底不可能だろうから。
ただ「ウチナンチューとナイチャー」の区分けは今も存在しているのかもしれない。
そう感じたのは外資系の必要以上に豪勢なシャイン旅行で「リゾートホテル」なる分不相応かつ嫌悪感を伴うフレーズ「リゾート」な宿にばかり泊まったせいからだろうか。
そこは奇妙に演出された沖縄があり、ホテルでウソ臭い沖縄料理を摂りプライベートビーチで泳ぎ・・・。
そこは沖縄ではない。演出されたリゾートいう名の隔離施設である。(と、リゾート批判が延々続くのでやめる。)
リゾートな雰囲気が嫌で借りた自転車で或いは徒歩で体力の続く限りいろいろなものを見ようとした。
所詮2,3日のスケジュールがぎっちり詰まれたツアー旅行では無駄な抵抗でただ「見た」という視覚情報レベルに留まるが・・・。
当初は「あれは沖縄ではない」と落胆したが、いやそうではない。あれも「沖縄」という多面体の一面なのである。
クリスチャンスクールに通っていたマリーの息子たちはこのボクの自意識過剰に対して既に一定の答えを見つけている。

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「学校では英語だけですから、自分もアメリカ人みたいな気になっていますよね。うちへ帰れば日本語を使っているんだから、日本人だと思っているし、街で日本人と出会っていて、自分はハーフの子なんだなと思うこともあるけど・・・さあ、自分が何人かなんて、考えたことないですね。というより、そういうこと、どうでもいいじゃないですか。同じ人間なんだから。友達もみんな、そう思っているようですよ。アメリカとかアメリカ人とかいっても、べつにどうとも思わないし、沖縄とか日本人とかいっても、べつにどうって事もないです。」 ちくま文庫版P223-224より

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イマココニイルヨ(李政美作詞、おーまきちまき作曲)の世界。
ボクは代々の農家に生まれた。この地に農地が拓かれた初期からほとんど住所も変わらず住み続けている。それ故因習化されかつ合理的意義を見出せない差別に無意識でありある日愕然とする少年の日があった。加害者にとっても差別は心に深い闇を宿すものなのである。だからこそ「アナタと私、今ここにいるよ」「自分が何人かなんて、考えたことないですね。」という言葉はたとえようもない救いの言葉でもある。

その後のマリーについてはよく分からない。
分からないというのは彼女自身についてどこにも記されておらず知る術がないということである。
音楽以外にも活動の場を広げて演劇の舞台に立ったり(ブラッドブラザース)SHOW-YAのボーカルとして平壌ステージに参加したり東京に拠点を移して専門学校で教えたり。現在は沖縄に拠点を戻しているとの事。いろいろ調べるうちに歌のかたわらでラジオ局のパーソナリティを4月から勤めていらっしゃると聞きなんだか嬉しくなってしまった。「オキナワ」との距離を感じ「アメリカ人になりたい」と思い続けてきた彼女が「オキナワ」の顔という形でどうやら一応の決着をつけた(らしい)のだから。むろんこれは傍観者の邪推に過ぎないが。

この本を読んで喜屋武マリーがハードロックのボーカルとして全盛だった頃の歌を聴きたいと思うようになり、そして今の歌も聴きたいと思う。(如何せん生の歌を聴きたいと沖縄通いを始めようものなら途端に破産なのだが・・・(T_T)。)
喜屋武マリーの歌にはボクが聴きたいものが潜んでいると確信めいたものを得た一冊であった。

 ⇒It's So Easy
   ヘヴィ・メタル/ハード・ロック主体のサイト。
   「喜屋武マリーの青春」のレビュー記事あり
 ⇒MovieWalker
   映画「Aサインデイズ」の解説
 ⇒be like water 波乗り日記とカープ
   「喜屋武マリーの青春」レビュー記事
 ⇒だいすけの沖縄音楽紀行?
   「喜屋武マリーの青春」レビュー記事ほか。
   「紫」「CONDITION GREEN」など一時代を築いた沖縄ハードロックに
   ついても所感を添えて紹介されています。
 ⇒マーミの日記
   マリーさんのステージレビューを記されています。
 ⇒PR PELLANT
   喜屋武マリー with MEDUSA のアルバムの紹介
 ⇒琉球放送株式会社(RBC)
   喜屋武マリーさんと中沢初絵さん(山咲トオルのお姉さま)パーソナリティによる新番組
   4月より月曜18:30~の『マリーとはつえのWomen’sクリニック』が放送開始。
   マリーさんが沖縄の人に向けて語れるようになったことがちょっと嬉しい。
 ⇒あらい舞マイフレンド
   マリーさんの元でロック修行をされた「あらい舞さん」の公式サイト
 ⇒Island Breeze
   沖縄ハードロックバンドとアルバムの紹介
 ⇒東アジアフォトインベントリー
   最近(?)のマリーさんの画像付の記事を掲載されています。
 ⇒懐かし泡盛ラベル「喜屋武マリー」
   こんな泡盛もあったんですと・・・・・。
 ⇒ブログ版ボラログ
   マリーさんの記事を記されています。
 ⇒映画瓦版
   マリーさん出演の映画「シャウト オブ アジア」のレビュー


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本の紹介「喜屋武マリーの青春」 [喜屋武マリー(Marie)]

9月21日、22日の長野飯田・伊那の「チームちょんみ」に参加されていたノガミさんと少しお話しました。
お名前に「龍」の字があって韓国語では「ヨン」という発音なので「ヨンさま」と呼ばれておりボクも失礼ながら気安く「ヨンさま、ヨンさま」と呼んでおりました。
高田渡さんの事、おーまきちまきさんの事そして喜屋武マリー(きゃんまりー)さんの事お伺いしました。
10月21日東京紀尾井小ホールでの浜田寸躬子さん「ことばのしらべ」(「焚火」大岡昇平)、勤め人の事とてお伺いすることはかないませんがご紹介させていただきます。

ノガミさんが喜屋武マリーさんを東京に招いて行われたライブツアーの事をお伺いしました。
「喜屋武マリーさん」という方は何度かテレビや誌上で見聞きしたことはあったのですが、それ以上深入りする事もなく時を過ごしておりました。
今回は長野からの帰路でノガミさんご自身も出版に携われた「喜屋武マリーの青春」を入手しプロローグの「Peaceful Love」を読んだところです。
どこか李政美さんの歌のボクにとっての魅力に通じるかも・・・と思っています。

またどこかの機会でお会いできるのを楽しみにしております。

喜屋武マリーの青春

 ⇒この秋、嗚呼、映画三昧の日々
   映画化された「喜屋武マリーの青春」の他、大爆笑となごみを貰った「パイナップルツアーズ」の紹介をされています。
 ⇒喜屋武マリーさん公認サイト(アーカイブ)


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